道路網の外にある集落
グリーンランドのニアコルナット:ウーマンナック・フィヨルドの縁で暮らす
ニアコルナットは「暗さ」や「孤立」で語られがちですが、この土地を本当に形づくっているのは、知識、仕事、相互扶助の上に成り立つ共同体です。
グリーンランド北西部の小さな集落を、極地の季節、生きた資源に支えられる経済、ドキュメンタリーによる知名度、そして不確かな未来まで含めて丁寧に見つめます。
ニアコルナットは、グリーンランドのヌースアク半島北側にある細い海岸部に位置し、フィヨルド、海氷、天候、季節ごとの移動に左右される水域を望みます。色鮮やかな家々と背後の急斜面は、「辺境」「孤独」「世界の果て」といった言葉を誘う風景です。外から見ればそう表現したくなるのも分かりますが、もっと重要な事実を覆い隠しかねません。ここは人々の暮らす故郷です。
住民は数十人規模にすぎず、正確な人口は変動するため、固定した数字として書くのではなく、Statistics Greenlandの最新表で確認すべきです。この規模では人口は抽象的な統計ではありません。一家が転居する、若者が教育のため村を出る、働き手が戻ってくる。それだけで年齢構成、労働力、将来への見通しが変わります。小さな変化が大きな結果を生みます。
村と他の集落を結ぶ道路はありません。移動を決めるのは、船、ヘリコプター、貨物輸送、天候、海況です。狩猟と漁業はいまも経済的・文化的に重要である一方、公共サービス、通信、輸入品を通じてニアコルナットはより広いグリーンランド社会とつながっています。暮らしは、手つかずの伝統でも、単純な現代依存でもありません。土地の知識、技術、公共インフラ、季節の不確実性を、その都度組み合わせながら成り立っています。
国際的にニアコルナットが知られるきっかけの一つは、サラ・ガヴロン監督のドキュメンタリーでした。住民たちが地元の水産加工施設の閉鎖の可能性と再開に向き合う様子を追った作品です。映画の成功は注目を集めましたが、同時に外部の人が村を一つの「象徴」として読み込む契機にもなりました。本稿では集落そのものに焦点を戻し、訪問は準備、同意、節度を必要とする特権として捉えます。
ヌースアク半島・グリーンランド
ニアコルナット
共同体が小さいからこそ協力の必要性が見え、移動、食、仕事には季節を読む知識が欠かせません。
向いている人:大きな町の外にあるグリーンランドの集落生活を、ロマン化された「遠さ」ではなく丁寧な調査から理解したい人
集落を読み解く
海、季節、相互依存が形づくる故郷
ニアコルナットという名は、カラリスット語でおおむね「頭の形をした場所」のような意味とされ、地域の地形に結びついた呼称です。集落はウーマンナックのおおよそ西、ヌースアク半島北側にあります。家々の背後には急な土地が立ち上がり、海岸側にはバフィン湾へ連なるフィヨルド環境が開けます。景観は劇的ですが、この風景の重要性はまず実用面にあります。
自治体資料は、恒久的な定住を19世紀初頭、交易拠点としての位置づけを19世紀後半へさかのぼらせています。ただし、その年代記は、この地域での移動、狩猟、知識に関するはるかに長いイヌイットの歴史の中に置く必要があります。植民地交易が北極圏の暮らしを生み出したのではありません。すでにあった関係を、商取引、行政、宣教活動、新しい定住形態を通じて組み替えたのです。
建設できる土地が限られるため、村はコンパクトです。住宅、公共・サービス施設、道、海岸設備、保管場所が狭い帯状の土地に集まります。他の集落へ続く道路がないため、海岸と離着陸・荷揚げのためのインフラが非常に重要です。船の到着、貨物の配送、ヘリコプターの運航一つが村全体に影響し得ることは、都市から来た人にはすぐ想像しにくいかもしれません。
規模が小さいと、人と状況がよく見えます。誰が助けを必要としているか、どんな機材が使えるか、天候がどう変わっているかを住民同士が把握しやすい一方、匿名性は限られます。仕事、祝い事、緊急時に協力が必要なため、社会的な義務も強くなり得ます。外部の人はこれを理想的な共同体の調和として描きがちですが、住民にとっては、親密な社会に共通する支えと緊張の両方を含む現実です。
したがってニアコルナットは、過去の姿を保存した「生きた博物館」ではなく、厳しい環境の中にある現代の共同体として見るべきです。インターネット、現代機器、輸入食品、公共サービス、世界のメディアは、狩猟知識、犬ぞり、船、地元の食文化と同時に存在します。この村の特徴は、こうした複数のシステムが非常に小さな規模で交わるところにあります。
地域内の移動は、航空、海上交通、天候、季節条件に左右されます。
急斜面とフィヨルドの水域が、集落の密集した形をつくっています。
正確な人口は、掲載前に最新の公式統計表で確認してください。
距離を決めるのは条件
「遠さ」はキロメートルだけでは測れない
ニアコルナットでは、風、視界、海氷、船の能力、地域交通の確実性によって、「距離」の意味そのものが変わります。
地図上では、ニアコルナットはウーマンナック周辺の集落ネットワークの一部です。しかし実際の移動は、二地点を結ぶ一本の線ではありません。季節、船や航空機の種類、貨物の優先順位、天候、土地の知識で成立するかどうかが決まります。同じ距離でも、ある週は日常的に移動でき、翌週には不可能になることがあります。
ヘリコプターは地域交通の一つで、船や季節運航の海上輸送も別の役割を持ちます。具体的な路線と時刻表は恒久情報ではなく運航情報なので、旅行直前に確認しなければなりません。北極圏では遅延は小さな不便で終わりません。乗り継ぎ、食料供給、通院、通学、宿泊の確保にまで影響することがあります。
道路がないことは、しばしば「孤立」の証拠として紹介されます。しかし道路はインフラの一形態にすぎません。グリーンランド沿岸の生活は、水、氷、空の交通を中心に発達し、集落間の幹線道路が現実的ではない地形に合わせて移動手段を築いてきました。船、犬ぞり、スノーモービルは、それぞれ異なる条件と規則のもとで使われます。環境がそれを要求するため、交通体系は複数の手段を組み合わせたものになります。
通信は「遠さ」の一部を縮めます。電話とインターネットは、住民を家族、教育、公共サービス、村外のメディアとつなぎます。物資、医療、技術修理のように実際の移動が必要な場面では、デジタル接続だけで物理的な制約はなくなりません。それでも「世界から切り離された村」というイメージには明確な修正を迫ります。
訪問者には、この地理を前にした謙虚さが必要です。日程には予備日を設け、遠隔地域に対応した旅行保険を用意し、すべての移動手段を直接確認してください。乗り継ぎに失敗しても、その夜に別の便を買えば解決するとは限りません。時刻表を最終的に決めるのは環境です。その現実を受け入れるところから責任ある計画が始まります。
移動を左右するもの
視界と風
航空機や小型船の運航は、急変することのある気象条件に左右されます。
海氷と開水面
季節ごとの氷は、航行、狩猟へのアクセス、地域移動の時期を変えます。
離着陸・荷揚げ能力
小規模な施設では、機材や運航計画の影響が物流により強く表れます。
地元の判断
経験豊富な住民や運航者は、旅行者の予定表よりも正確に現地条件を読み取ります。
極地の暦
長い光と長い闇の中で暮らす
北極圏の一年は、通常の季節変化をはるかに超える光の変化によって、睡眠、仕事、移動、社会生活を組み替えます。
ニアコルナットは北極圏よりかなり北に位置するため、一年には太陽が昇らない時期と沈まない時期があります。正確な日付は緯度、地形、「日の出」をどう定義するかで変わりますが、暮らしの実感は明確です。冬には何週間も直射日光のない時期が続き、夏には一日中、あるいはそれに近い明るさが続きます。山や天候も、実際に住民が目にする光をさらに変えます。
極夜といっても、一日中完全な闇というわけではありません。薄明、月明かり、雪の反射、星、人工照明が時間ごとに違う明るさをつくります。それでも直射日光がないことは、生活習慣や気分に影響します。屋外作業は一般的な「日中」の時間帯より、視界、嵐、気温に合わせて計画されます。学校、家事、集まりは続きますが、時間の感じ方そのものが変わります。
夏は逆の課題をもたらします。光が途切れないことで活動時間が延び、慣れていない人は睡眠を乱されることがあります。遮光、規則的な生活、意識的な休息が重要になります。船は開水面を動き、整備作業が加速し、野生動物の季節変化によって狩猟や漁業の可能性も変わります。実際の交通制約は残っていても、景観は大きく開けたように感じられます。
両極端の間にある結氷期と解氷期は、特に重要です。移行期には水上・氷上移動の信頼性が変わります。前年に安全だった条件が今年も安全とは限りません。土地の知識は細かな観察に基づいていますが、気候の変動性が増すと、慣れた季節パターンも予測しにくくなります。
訪問者はオーロラ、白夜、極地の暗さを「見もの」として求めがちです。住民が暮らしているのは、その見どころだけではなく、負担も含めた季節の全体です。冬を孤独、夏を無限の自由という一語に縮めるのではなく、どちらにも適応、労働、世代を超えて積み上げた文化的知識があることを忘れてはいけません。
| 時期 | 光の状態 | 暮らしへの影響 | 訪問者が守ること |
|---|---|---|---|
| 厳冬期 | 何週間も太陽が直接昇らない | 視界が限られ、寒さと天候が移動を左右する | 適切な装備を用意し、現地の助言に従います。 |
| 春の移行期 | 日照時間が急速に増える | 雪と氷の状態が変化する | 氷の安全性を自分だけで判断しないでください。 |
| 夏 | 終日、またはほぼ終日の明るさ | 船の活動が増え、睡眠リズムが乱れやすい | 遮光できる睡眠環境を整え、無理な日程を避けます。 |
| 秋の移行期 | 日照時間が急速に短くなる | 冬支度と不安定な海況 | 遅延やサービス縮小を見込んでください。 |
海に支えられる経済
狩猟と漁業は生業であり、観光客向けの演出ではない
魚や海洋哺乳類を地域で利用することは、栄養、収入、道具、知識、文化の継承を結びつけています。
漁業は地域経済と家庭の食を支える中心の一つです。魚種、季節、漁獲枠、市場、加工体制は変わるため、固定した「獲れる魚一覧」は誤解を生みかねません。変わらないのは、水域、天候、動物の移動、装備を読む知識に経済的価値があることです。船は絵になる小道具ではなく、整備状態が家庭の安定にも関わる仕事道具です。
海洋哺乳類の狩猟も、グリーンランドの法制度と管理のもとで文化的・栄養的な意味を持ちます。外部からの議論は、規制、食料分配、現地事情を理解しないまま、ロマン化と道徳的非難の間を揺れがちです。責任ある説明は、先住民の権利と、最新の証拠と法に基づく持続可能な管理の必要性を、どちらも認めます。
食べ物を分け合うことは家庭同士を結びます。十分な漁獲や獲物があれば、捕った本人の家を越えて食料が回り、社会的なつながりと資源分配を支えます。肉、魚、脂、季節保存の調理法にも知識が受け継がれています。同時に輸入食品も日常の一部であり、価格、入手性、好み、健康が重なる混合的な食生活になっています。
地域経済は自給的な活動だけで成り立っているわけではありません。公共部門の雇用、サービス、交通、建設、観光、加工、各種移転も重要です。ニアコルナットを扱ったドキュメンタリーが水産加工施設へ注目したのは、地元の漁獲を現金収入につなぐ経路だったからです。施設の閉鎖や再開は、家計だけでなく、住民が村にとどまれるかどうかにも影響します。
訪問者が狩猟を演出させたり、見学を要求したりしてはいけません。撮影には許可が必要で、野生動物由来製品には購入、運搬、輸出の法的制限があります。地元の説明を通じて学び、認可されたサービスを利用し、公開されない仕事があることを受け入れるのが適切です。
相互依存が見える暮らし
一晩でも変わり得るほど小さな人口
数十人規模の集落では、人口の移動が学校、労働力、緊急対応能力、共同体全体の感情にまで響きます。
大都市の人口減少はグラフの線として見えます。ニアコルナットでは、一家が去ること、教室の子どもが減ること、あるサービスの維持が難しくなることとして現れます。正確な人口は最新の公式表から取るべきですが、一人ひとりの判断が意味を持つほど小規模であることは変わりません。
若者は、地域では受けられない教育や訓練のため外へ出る必要がある場合があります。技能やパートナー、子どもとともに戻る人もいれば、より大きな町や海外に生活基盤を築く人もいます。これは単純な「故郷の放棄」ではありません。本人の希望、家庭事情、サービスが都市へ集中していることなどが関係します。それでも、一人が出るたびに、誰が機材を整備するのか、狩猟に参加するのか、公共施設を支えるのか、高齢者をケアするのかという現実的な問いが生まれます。
学校は、現在のサービスであると同時に将来の可能性を示すため、特に重要です。児童数が少なければ維持が難しくなり、学校が失われれば子どものいる家庭が村に残りにくくなります。同じ圧力は商店、医療、行政にも及びます。そのため公共政策の判断が、人口構成へ非常に直接的な影響を与えます。
共同の集まり、祝祭、共同作業は孤立感を和らげますが、対立やプライバシーの必要を消すわけではありません。外部の人は小さな集落を「全員が全員を支える理想の共同体」と描くことがあります。実際に協力は不可欠ですが、距離の近い社会だからこそ意見の衝突や互いへの目も強くなります。尊重とは、住民を完全な人間として、その複雑さごと見ることです。
未来は人口の数字だけで決まりません。安定した交通、住宅、通信、地域雇用、教育、そして集落で暮らすことにどれほど価値を感じられるかが、残る・戻るという判断に影響します。ニアコルナットの存続は個人の愛着だけでなく、政策と機会の問題でもあります。
一世帯の変化が重要な理由
学校の児童数
子どもの人数がわずかに変わるだけでも、地域教育の維持可能性に影響します。
技能と人員
転出によって、特定の技術、サービス、狩猟の能力が失われることがあります。
家族のネットワーク
高齢者や子どもの生活は、複数の集落にまたがる家族関係に支えられることがあります。
ここで暮らし続けられるという感覚
インフラと雇用の判断は、家族が残るか、将来戻るかという計画に影響します。
動き続ける伝統
犬ぞりもスマートフォンも、同じ現在にある
ニアコルナットは「伝統的な過去」と「近代的な未来」の間で止まっているのではなく、必要に応じて複数の技術を組み合わせています。
犬ぞりとスマートフォンの対比は写真として魅力的ですが、「古いもの対新しいもの」と見せれば誤った物語になります。それぞれが別の問題を解決する道具です。適切な冬の条件では犬が移動手段になり、電話は通信を担い、船は開水面を行き、冷凍庫は保存を支え、衛星・インターネットは公共サービスやメディアと村をつなぎます。「近代化」は一つのパッケージではありません。
住民は費用、信頼性、燃料、整備、環境条件を考えながら、機器を選択します。大きな町では簡単に使える技術でも、小さな集落では修理や部品供給が難しいことがあります。古い方法が残るのは変化を拒んでいるからではなく、その方法に土地へ適応した知識が含まれ、今も有効だからです。
輸入品は、途切れたり高額になったりする可能性のある供給網を通って届きます。商店の棚は消費者の好みだけでなく物流の状態も映しています。住宅は厳しい条件の中で暖房と維持管理が必要です。廃棄物、水、エネルギー、建材にもそれぞれインフラ上の課題があり、観光写真にはほとんど写りません。
文化の継続も固定されたものではありません。カラリスット語、食文化、狩猟知識、家族関係、祝い事が続く一方で、住民は世界の娯楽やSNSも利用します。若者は地域社会に十分帰属しながら、別の土地で教育、音楽、ファッション、仕事を求めることができます。外部とつながることでアイデンティティが「本物でなくなる」わけではありません。
ニアコルナットを最も尊重して描くには、住民に「伝統」か「進歩」の象徴であることを求めないことです。人々は現在を生き、今ある問題を解くため利用できる仕組みを使っています。珍しいのは古いものと新しいものが共存することではなく、その共存が小さな規模ゆえに目に見えやすいことです。
犬ぞり、スノーモービルなどは、地形、規則、安全条件に応じて使い分けられます。
船は生業、地域交通、家庭への物資供給を結びます。
電話とインターネットは情報上の距離を縮めますが、物理的な制約までは消しません。
冷凍庫、燃料、予備部品、修理知識は重要な生活インフラです。
予測しにくくなる環境
気候変動が変えるのは気温だけではない
海氷、天候、生物種、季節の時期が変わることで、安全、インフラ、食料システム、文化的知識まで影響を受けます。
氷、海洋、大気の変化が世界全体へ影響するため、グリーンランドは地球規模の気候研究の中心です。しかしニアコルナットで気候変動は、もっと身近な形で経験されます。海氷がいつでき、どれほど安定するかは移動経路や狩猟の可能性を変えます。天候は船の安全と交通の信頼性に影響します。沿岸の変化や永久凍土はインフラを変え、生物の分布変化は慣れた資源の入手可能性にも影響し得ます。
一つひとつの観察を、単純に同じ方向へ進む変化として説明しないことが重要です。暖かい冬が一度あった、嵐が来た、珍しい動物を見たという事実だけで、それ自体が証明になるわけではなく、地域差もあります。科学的モニタリングと、先住民が長年積み重ねてきた観察を合わせて解釈する方が、より強い根拠になります。Greenland Climate Research Centreが環境と社会を結びつけて研究していることも、この学際的な視点の必要性を示しています。
伝統的知識はいまも不可欠ですが、予測の難しさは、以前の条件から学んだ判断基準を揺さぶります。何十年も安全だった経路が不安定になることがあります。結氷のしかたが変わり、解氷期には新しい危険が生まれることもあります。そのため適応とは、知識を守ることと見直すことの両方です。環境を細かく読みながら、予報、通信、研究も使います。
気候変動の物語は、北極圏の住民を世界的危機の受動的な象徴として扱うことで、共同体を消費してしまう危険もあります。ニアコルナットの人々は単なる「証拠」ではありません。判断し、サービスを求め、暮らし方を適応させ、利点と負担を比較しています。遠くで作られる政策も、世界向けのイメージだけでなく、地元の優先事項を考慮しなければなりません。
旅行者にとって気候への理解は、具体的な自制につながります。地元から明確な案内を受けずに氷上へ出ない、野生動物へ近づかない、道具を触らない、見た目だけで安全を判断しないこと。移動による排出と地域の受け入れ能力の小ささを考えれば、遠隔地を短時間で次々消費するより、回数を抑え、長く滞在し、十分に準備した訪問の方が理にかなっています。
気候変動が地域へ届く経路
予測しにくい氷
結氷と解氷のパターンが変わると、慣れた移動経路が使えなくなることがあります。
変わる生物分布
魚や海洋哺乳類の動きは、食、収入、水上で働く時間に影響します。
海岸と地盤
侵食、嵐、地盤条件の変化によって、維持管理の負担が増えることがあります。
更新が必要な判断基準
従来の季節パターンが頼りにくくなる中でも、地元の観察は欠かせません。
世界に知られた小さな村
ドキュメンタリーが映したもの、映せなかったもの
映画は経済危機に向き合う住民を追い、ニアコルナットへ国際的な注目を集めました。しかし、どんなドキュメンタリーも共同体のすべてを収めることはできません。
サラ・ガヴロンのドキュメンタリーは、数人の住民と地元の水産加工施設をめぐる葛藤を通して、多くの視聴者にニアコルナットを紹介しました。作品の力は親密さにありました。大きな政治・経済の問題が、とても小さな場所での会話、仕事、判断を通して具体的に見えたからです。村を風景だけにしなかった点も重要です。
同時に、映画は必ず選択を伴います。編集によって物語の形が生まれ、特定の人物が中心になり、撮影期間は一つの歴史的な断面になります。最後の場面の後も住民の人生は続き、人口は変わり、新しい課題も生まれました。訪問者が、ドキュメンタリーで与えられた役柄のままの人々に会えると期待して来るべきではありません。
作品タイトルにある「世界の果て」という言葉は宣伝として強力ですが、それは外部の人の地図を中心に置いた表現です。ニアコルナットから見れば、世界はここで終わりません。ウーマンナック、家族のネットワーク、供給路、国の制度、より広いグリーンランド社会を通じて世界が組み立てられています。国際メディアの周縁にある村でも、そこに暮らす人にとっては中心です。
ドキュメンタリーへの注目が観光関心を生めば、収入につながる可能性がある一方、侵入的な関心も招きます。極小規模の共同体には、予告なく来る訪問者、カメラ、「会わせてほしい」という期待を大量に受け止める余力がありません。映画を見ることは、権利意識を増やすのではなく責任を増やすべきです。
この作品の長く残る価値は、抽象的な問題を抽象のままにさせない点にあります。加工施設は単なるインフラではなくなり、人口減少も数字だけではなくなります。映画は共感への入口になりますが、その次に必要なのは最新情報の確認と、敬意ある接触です。
遠隔地を訪ねる倫理
ニアコルナットを責任ある形で訪ねられるか
可能ではあります。ただし、直接の計画、現実的な期待、そして住民のために設計された限られたインフラへの敬意が前提です。
訪問は、突然現地へ行くことではなく、地域または現地との事前連絡から始めるべきです。交通、宿泊、ガイド、食事、支払い方法、通信、緊急時の手順を確認してください。サービスは限定的、季節限定、あるいは利用できない場合があります。村が小さいからといって、住民が宿、食事、移動手段を用意してくれると考えてはいけません。
日程には十分な余裕を持たせます。天候で到着も出発も遅れることがあり、同日中の代替手段がない場合があります。保険は実際の行程と遠隔地のリスクをカバーする必要があります。薬、重要な防寒具、必要書類は、別送になり得る預け荷物ではなく、自分と一緒に移動させる方が安全です。
撮影には判断が必要です。広い風景写真でも、住宅や個人が特定できるなら自動的に無害とは言えません。人、私的空間、仕事道具、食品加工を撮る前に尋ねてください。ドローンは特に侵入的で規制対象でもあります。法的許可と地域の受け入れの両方を確認せず飛ばしてはいけません。
野生動物を見ることは、安全や住民の生業より優先されません。動物へ近づかず、狩猟を妨げず、観光客向けの演出を求めないでください。ガイドと最新の規則に従います。同様に、適切な装備と経験ある運航者なしに海氷へ出る、知らない地形を登る、船へ乗るといった行動も避けるべきです。
地域のサービスが提供されているなら、地元でお金を使うことには価値があります。ただし、不足をロマン化したり、強く値切ったりしてはいけません。地域で処理できないごみは持ち出し、水とエネルギーを節約し、通信や緊急資源へ不要な負荷をかけないでください。遠い場所を見る権利が、共同体が普通に機能する権利より優先されることはありません。
まず連絡する
予定日に交通、宿泊、ガイドが本当に利用できるか、事前に確認します。
遅延を前提にする
予備日を設け、天候依存の北極圏交通に対応した保険を用意します。
撮る前に尋ねる
人、仕事、住宅、ドローン利用について、必要な許可を得ます。
現地の安全判断に従う
氷、天候、野生動物、船の条件を自分だけで判断しないでください。
負担を残さない
限られた資源を節約し、ごみを管理し、提示された価格で地元サービスを利用します。
ニアコルナットへ道路で行けますか?
いいえ。他の集落と結ぶ道路はありません。地域の航空・海上交通と、その時点の条件にアクセスが左右されます。
予約なしで訪ねてもよいですか?
責任ある行動とは言えません。宿泊やサービスは限られるため、旅行前に直接確認してください。
最も良い季節はいつですか?
交通、光、海況、訪問目的によって答えが変わります。北極圏の季節条件は年によって変動するため、最新の現地情報が欠かせません。
極夜は一日中完全な暗闇ですか?
いいえ。薄明、月、星、雪の反射、人工照明で明るさは変化します。ただし、長い期間にわたり太陽そのものは地平線より下にあります。
最後に見えてくるもの
ニアコルナットは「世界の果て」ではなく、生きた知識の中心です。
劇的な風景は比喩を誘います。闇、氷、距離から「孤独の物語」を想像したくなるかもしれません。しかしニアコルナットは、関係性から見る方がよく理解できます。家庭同士、人と生きた資源、土地の知識と公共インフラ、小さな集落とより大きなグリーンランド社会との関係です。
将来が保証されているわけではありませんが、衰退が必然でもありません。人口、雇用、学校、交通、気候は互いに作用します。住民、自治体、国の機関、市場の判断がすべて関わります。村はただ「消えるのを待っている」わけでも、「誰かに救われるのを待っている」わけでもありません。
訪問者と読者に必要なのは、見世物として眺める態度を、注意深く見る姿勢へ置き換えることです。地理を学び、経済を尊重し、物流を確認し、住民をドキュメンタリーの題名より複雑な人々のまま受け止めてください。ニアコルナットが教えるのは「人は世界の端でも生き延びる」ということではありません。どの地図にも中心があり、故郷はそこに暮らす人自身の中心をつくる、ということです。